生麦事件の碑
生麦事件は、1862年8月21日に神奈川県横浜市鶴見区生麦村で発生した、薩摩藩主島津茂久の父・島津久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷した事件です。 リチャードソンは騎乗のまま薩摩藩の大名行列に乗り入れたため、薩摩藩士奈良原喜左衛門に無礼打ちにあい、腹部を切り裂かれたまま600mほど横浜方面へ逃走しますが、ついに力尽きて落馬。 ボラディル夫人は逃げることができましたが、案内役だったクラーク、マーシャルは重傷を負いながらもアメリカ領事館だった本覚寺(ほんがくじ/現・横浜市神奈川区高島台、JR神奈川駅近く)へ逃れ、治療を受けています。
首都高速神奈川7号横浜北線の工事のため、平成22年12月、200m離れた旧東海道沿いに仮移設されていましたが、平成29年7月に旧地に戻されています。

